何しろトークが面白い! 綾小路きみまろを髣髴とさせるトークに、会場は爆笑の連続。しかしその笑いの合間にも、たたき上げの介護士として、また理論派の理学療法士としての経験に裏打ちされた的確な指針がちりばめられている。
介護職がまだ寮母と呼ばれていた時代に24歳で特別養護老人ホームへ就職。それまで転職を繰り返していて「何ヶ月もつかな?」と思いながら入った世界だが、三日やって「面白い!」と感じたそうだ。その頃の介護は力任せ。「腰が強そうだということで採用された」と笑って言うが、まさに現場は戦場で、介護は「作業」になっていたという。「介護福祉士ではなく、介護力士でした」(笑)
そうこうするうちに施設の要請で理学療法士の大学へ進学、猛勉強をし、無事卒業。就職の段になると、同級生達は皆、医療現場へ。特養へ戻る彼は「何故そんな墓場へ?」と言われたそうだ。しかし施設では理学療法室を新設して待ちわびていた。希望に燃えて、教科書通りの療法を試みるものの、期待したような結果は得られない。ある日、嫌がる女性利用者をなんとか説得して療法室まで連れ出し、歩行訓練を始めた。平行棒を持ちながら嫌々歩き、なんとか端までたどり着いた彼女に「では戻って下さい」と指示すると彼女は怒って言った。「戻るんなら何で歩かせたんや!」その場にいた他の利用者は大爆笑、その瞬間、彼は生活と隔絶したリハビリの無意味さを悟ったと言う。「リハビリは生活の中でしてこそ意義がある」。以来、利用者が自力で立ち上がれるように、病室のベッドの足を切って高さを調節、手すりを取り付けるなどして、自立を促す工夫をした。
トークでは、時として介護現場における医療の対応のあり方に皮肉ものぞく。三好氏はきっと、介護が医療の一部であった時代から、独立した分野へと変わる移行期を先導してきた人なんだろうなと感じた。そこには老いに対する優しい眼差しがある。認知症に対しても、痴呆症と呼ばれ、見当識障害を悪とし「いつ・どこで・だれ」をはっきりさせることが必要、周辺行動が出れば薬で抑えるという時代に、バリデーションを実践していた。
ある時、帽子を被り「ロシアへ行く」と言い出してきかない男性利用者を、ソーシャルワークを学んだ同僚が「ロシアまで私が行って、いるかどうか確かめてくるわ」と応対した。そして「残念! 留守だったわ。また今度にしましょう」と言ったところ、彼は立ち止まり「それじゃしょうがないな」と、帽子を取ったという。記憶の混乱を受容し、共感して接することで、また記憶を取り戻す。そこを無理やり正そうとすると、周辺症状はよりひどくなる。そして問題行動の由来を、その人の人生に照らし合わせて考えることが大切なのだ。おばあさんたちの多くは「子供が泣いているから乳あげにゃー」「子供にご飯食べさせんといかんで、買い物に行くさ」と言い出す。人は心のどこかで年老いた今の自分に納得せず、自分が頼りにされ、最も輝いていた頃に戻りたいからではないかと三好氏は言う。
力任せではない介護、生活の中でのリハビリ、受容と共感の認知症対応…どれも今の介護現場では当たり前のように言われていることだが、まだまだ実行できていない現状がある。そしてそこにこそ福祉機器の必要性があるのかもしれない。
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